2012年3月25日

Siriを早速試してみたら


Siriさんこんにちは


僕はiPhoneも持っていて、実を言うと、どちらかと言えばAndroidよりもiPhoneの方を可愛がっています。

先日iOSが5.1にアップデートしました。目玉はなんと言ってもあのSiriさんが日本語を理解してくれるようになったことです。そういうわけで、早速試してみました。


Siriを困らせようとあんなことこんなことを言って遊んでいるうちはどうということはありませんが、さて、少し実用的に使おうと思うと、携帯型電話機器というただの物体に向かって一人で声を発する、という図式はなにやら気恥ずかしいものです。

気恥ずかしいというより妙な緊張感が漂うのは、自分の欲する用事を理路整然と一息で喋らなければならない感じがものすごくするから、という理由もあります。

Homeボタンを長押ししてSiriが起動し、合図に「ポポン」と言われると、もう一秒の猶予もない感じが伝わってきます。「カッチッカッチッカッチ」という時計音が聞こえてくる気がして妙に焦るわけです。

アラームをセットだの天気予報を聞くだの、もしくはセクハラするだのといった「アップルの用例」にないことをさせようとした場合、とたんに難易度が上がります。

「これ通じるのかなーどうかなー」と遊んでいるうちは楽しいものですが、迷い迷い「水曜日の15時から、場所はどこそこ、タイトルは○○、という予定」など、練習なしで一発で登録するのは相当難しいと想います。

ちょっとでも合間に「えーっと」などと口ごもると、「発話が終了した」とみなされて認識が始まってしまう気がして非常に焦るのです。

しかしだんだん慣れてくる


入力手段が1つ増えただけだというのに、しかも音声入力など今さら珍しくもなんともないというのに、これだけ話題になり、これだけ余計なことを考えさせられるというのは、Siriが妙に人間(というよりスケベ重役にセクハラを受け慣れている秘書)っぽい受け答えをするからにほかなりません。。



そのためついつい混乱するのですが、Siriは別に未来的な人工知能アルゴリズムを搭載しているわけでもなく(どちらかと言えば動作原理は人工無脳に近い)、Siriはその印象とは裏腹に「2001年宇宙の旅」の「HAL」よりかは、切符の券売機に近いものです。

ここらあたりで、ようやくAppleの演出の巧みさに乗せられていることに気づくという寸法。

ところで、女性音声で人間ぽい発話をする、という機能を組み込む時点で「そういう」言葉が発せられることがすでに織り込み済みであるということは、人間というものは(あ、いや、男というのは、ですな)境遇が許せば、誰でもスケベ重役と等しくなることを示唆している。つまりスケベ重役というのは人間の精神生活の一典型だと言ってよい。確かシェークスピアもスケベ重役が登場する悲劇を書いていたはずだ(ウソ)。


エージェント機能こそが画期的


そうこうするうちに最初の物珍しさを経て、だんだん入力手段として慣れてきます。

すると、Siriには、単なる入力手段以上の「エージェント」と呼ぶべき機能が備わっていることが分かってきます。

たとえば、あさっての朝にアラームをセットしようとしましょう。iPhoneのアラームアプリというのは24時間以上先にはセットできないようになっているらしいのですが、ただ単に「24時間以上先のアラームはセットできません」というエラーを示すだけでなく、なんと「代わりにリマインダを使いますか」と、似たような機能を持った他のアプリを使うよう提示してくれるのです。

画期的と言うならば、音声で指示できることとか、当意即妙な切り返しという演出などよりも、この機能の方がはるかに画期的だと思います。

これまでのコンピュータデバイスにおいては、さして役に立たないエラーメッセージを表示するだけだった局面で、代替案を提示してくれます。


カレンダーに予定を入れる場合も、「水曜日の午後2時の予定」と言ったあと、試しに適当なことを喋ってみると「予定で変更できるのはタイトル、出席者、場所のいずれかです」と、正解を示してくれます。


ついうっかり夜12時を過ぎてから、「明日の朝の天気は」と聞くと「私に分かるのは12時間先の天気予報までです」などと答え、しかも今日からの週間天気予報を示してくれるのです。



Siriは、ただ単に、残念そいつは間違っているぜとユーザを拒絶するのではなく、ユーザが求めている操作を予測し、さらには勝手に実行してしまってからユーザの反応をうかがうという実に「人間くさい」行動を取るのです。

見過ごしがちながら、これは非常に画期的なインターフェイスでしょう。

PC世界における一般的な「エラーメッセージ」と比べると、なんと情報豊かな提示であるかが分かると思います。

それも、さほど難しくはない(「『2001年』のHALほどではない」という意味で)アルゴリズムでこれほど効果的なインターフェイスを実現できているわけですね。

エラーメッセージの未来形


それもこれも、非常に限定されたアプリケーションの、しかも非常に限定された機能のみに対応しているからできることだとは思います。

その証拠に、意外にも「こんなことができないのか」という程単純なことができなかったりします。できる、できないの境界がまだはっきりとつかめないというのが正直なところです。

たとえば、試しに「写真を見たい」と頼んでみると、こんなに分かりやすく頼んでいるのにSiriさんは「写真を見たい?ちょっと何言ってるか分かんない」と素っ気ありません。



誤った操作というのは必ず発生するのだから、いかに適切なエラーメッセージを表示するか、言い換えればいかにエラーに対して強いかということは、アプリケーション開発者の永遠の課題であり、その解決は長年の夢でもあります。

どうすればエラーに対して強いのか、どうなればユーザが快適であるかというのは当然時代によって変わってくるものですが、Siriというエージェント機能は、間違いなくエラーメッセージの一つの未来形であり、エラーメッセージのあり方を大いに考えさせられます。

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